福岡高等裁判所 昭和63年(う)232号 判決 1988年11月30日
主文
原判決を破棄する。
被告人は無罪。
理由
本件控訴の趣意は、弁護人小林清隆提出の控訴趣意書及び控訴趣意補充書に、これに対する答弁は、検察官林信次郎提出の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、これらを引用する。
所論は、要するに、原判決には、(1)K(以下「K」という)が足を乗せていた被告人運転の普通貨物自動車(以下「被告人車」という)運転席外側ステップあるいは運転席側ドア外側後方にある梯子の基底段の高さを「地上から高さ約一メートル六〇ないし七〇センチメートル」と認定した点、(2)Kが運転席外側ステップあるいは運転席側ドア外側後方にある梯子等に足を乗せて被告人車につかまっている態様を「不安定な状態」と認定した点、(3)被告人車の速度を「時速約二〇キロメートルに加速しつつ」と認定した点、(4)被告人が発進に際し、「Kを被告人車から飛び降りさせるか、降り落すかして逃走するほかないと決意し」と認定した点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があり、またそのうえで(5)被告人には刑法二〇五条一項の暴行の故意とその実行行為があり、暴行行為と死亡との間に因果関係があると認定した点、更には(6)正当防衛ではなく過剰防衛であると認定評価した点において、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認、ひいては法令の解釈適用の誤りがある、というのである。
これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
原審記録を調査して検討すると、本件に至る経緯及び被告人の本件行為は、原判決が「罪となるべき事実」(但し、末尾二行を除く)中において判示する事実のうち、その六五行目の「降り落すか」とある部分を「振り落とすか」と、六六、六七行目の「、地上から高さ約一メートル六〇ないし七〇センチメートルにある」とある部分を「(地上から高さ約一メートル六〇ないし七〇センチメートルにある)より上体を高くし、」と、六八行目の「足を載せて」とある部分を「足を乗せて」とそれぞれ訂正する以外は、その判示するとおりであり、右事実は、原判決挙示の各証拠(但し、「証拠の標目」中、一二行目の「元山豊明」とあるのは「元山豊昭」の誤記と認める)によってこれを肯認することができる。以下、所論にかんがみ右のとおり認定した理由について付言することとする。
先ず(1)の点について、原判決は、「罪となるべき事実」中の六六ないし六八行目において、「同人(「K」を指す)が被告人車の窓の下部、地上から高さ約一メートル六〇ないし七〇センチメートルにある運転席外側ステップあるいは運転席側ドア外側後方にある梯子等に足を載せて……」と認定判示しているけれども、司法警察員作成の昭和六二年七月一八日付実況見分調書によれば、被告人車の運転席外側ステップは地上から五三センチメートルの、運転席側ドア外側後方にある梯子の基底段は地上から七九センチメートルの高さにあって、いずれも地上から約一メートル六〇ないし七〇センチメートルの高さにはないことは所論の指摘するとおりであるが、被告人の検察官に対する同月三一日付供述調書及び右実況見分調書によれば、被告人車の窓の下部が地上から約一メートル六〇ないし七〇センチメートルの高さにある(ちなみに、ステップと梯子との間の水平間隔はおよそ八〇センチメートルである)ことが認められ、また原判決も、「暴行の故意を認定した理由」中の六ないし八行目においては、「被告人車の運転席窓最下部は地上から約一メートル六〇ないし七〇センチメートルの高さにあり、」と判示し、その一〇ないし一二行目においては、「(K)が被告人車の外側にあるステップか、右前輪タイヤか運転席後方にある梯子に足を乗せなければならず」と判示していることからすると、「罪となるべき事実」中の、「地上から高さ約一メートル六〇ないし七〇センチメートルにある」というのは、ステップあるいは梯子等ではなく、窓の下部であり、またKは窓の下部には足を乗せたのではなく、そこより上体を高くしていたにすぎないとみるべきであるから、原判決は、「窓の下部(地上から高さ約一メートル六〇ないし七〇センチメートルにある)より上体を高くし、」と摘示すべきところを、誤記したものと考えられるのであって、この点に事実の誤認があるとはいえない。
また(2)の点についても、当裁判所が前記のとおり訂正のうえで肯定する原判決の認定した事実によれば、Kが被告人車につかまっている態様が不安定な状態であることは明らかであって、そのように認定したことに事実の誤認は存しない。
次に(3)の点についても、<証拠>を総合すると、被告人車が飯田橋右側欄干に衝突しそうになった時点における同車の速度は時速約二〇キロメートルまで加速されていたことが充分認められるのであって、この点でも事実の誤認は存しない。
更に(4)の点についても、関係証拠殊に被告人の検察官に対する昭和六二年七月三〇日付、同月三一日付、同年八月三日付、司法警察員に対する同年七月一五日付、同月一八日付、同月二〇日付(二通)、同月二四日付各供述調書によれば、被告人車が停車していた地点から発進しようとした時点における被告人の心情は、「相手が執拗に私の車を追いかけてきて、更にドアを開けて引きずり降ろそうとするなど相手の執拗な攻撃等からみて、暴力団かチンピラではないかと強く恐怖感を覚えましたので、とにかく逃げようと思う気持ちで一杯で、発車させたのです。」(前記司法警察員に対する昭和六二年七月一八日付供述調書八項)、「殺されるかも知れないとまで思ったと言うと大げさすぎて信じてもらえないかも知れませんが、私の感じた恐怖感というのはそれ程強いものだったのです。」(前記検察官に対する昭和六二年七月三〇日付供述調書二項)、「そのときの私の思いとしては、何としてもその場から逃れたい、どんなことをしてもKさんから逃げたいという思いで一杯で、もう逃げるためにはトラックを発進させることしかないと考えたのでした。」(右同項)というものであることが認められるのであって、このように極度に畏怖していた被告人の心情や情況に照らすと、前記検察官に対する昭和六二年七月三〇日付、同月三一日付、同年八月三日付各供述調書中、被告人が発進に際し、Kを被告人車から飛び降りさせるかまたは振り落としてでも逃げようと思った旨の供述についても、発進後の被告人の運転方法からしてすぐさまKを振り落とすことまで考えていたとは信じられないにしても、同人が容易に飛び降りてくれない場合には振り落とすことになってもやむをえないと思ったとの範囲では措信することができ、原判決の判示も、これと趣旨を異にするものではないと考えられるから、この点についても事実の誤認はないというべきである。
そして(5)の点についても、当裁判所が前記のとおり訂正のうえで肯定する原判決の認定した事実によれば、被告人に暴行の故意もその実行行為もあったこと並びに暴行行為と死亡との間に因果関係が存在することは明らかである。所論は、原判決は発進から約四八メートルの走行のみを暴行行為と認定しているが、右約四八メートルの走行というのは、飯田橋手前でKにハンドルをつかまれて、被告人車が橋の欄干に激突しそうになったのを避けるためにハンドルを左に切る前までの走行ということになるから、ハンドルを左に切った行為は被告人の暴行行為には含まれておらず、被告人がハンドルを左に切ってKを被告人車から転落させて死亡させたこととの間に因果関係はないというのであるが、原判決が「約四八メートル走行させる暴行を加えたが、その間……(中略)……あわててハンドルを左に切って左方向に被告人車を進行させ」と判示していることと、司法警察員作成の昭和六二年七月一九日付実況見分調書添付の殺人被疑事件発生現場見取図によると、停車していた①の地点から左にハンドルを切った④の地点までの距離は約42.0メートルであり、これにKの姿がわからなくなった⑤の地点までの距離約6.3メートルを加えると、約48.3メートルになることが認められることとを考え併せると、原判決は、被告人がハンドルを左に切って左方向に被告人車を進行させた行為をも暴行の実行行為に含ませているものと認められるのであって、所論は前提を欠き失当である。原判決にこの点で事実を誤認し、または法令の解釈適用を誤った違法は存しない。
そこで(6)の点について検討を進めることとするが、当裁判所も前記のとおり訂正のうえで肯定する原判決の認定した事実によれば、原判決も「過剰防衛を認めた理由」中の五ないし三五行目において判示するように、被告人の行為はKによって被告人に加えられた急迫不正の侵害に対し自己の身体を防衛する意思をもってなされた防衛行為であることが明らかであるから、更に被告人車を発進走行させた行為が防衛行為としての相当性を有するか否かについて判断するに、この点につき、原判決は、Kは被告人車の車体外側につかまり、不安定な状態で車外から素手で攻撃してきたのであって、その攻撃の程度も決して高度の危険性をはらむものとはいえないのみならず、被告人は運転席内にあって、外部からの攻撃に対してある程度の安全性を保ち得る状況下にあったと認められるから、素手による反撃等他にとるべき手段があったはずであることの事由をあげて、被告人の行為が防衛行為としての相当性の範囲を超えていると判示している。しかしながら、前叙のように、Kは、被告人が被告人車を運転してK運転の自動車を追い越したことに憤激し、異常なまでにしつこくこれを追跡して被告人車を停車させたうえ、深夜人気のない路上で停車中の被告人車のステップ等の上に上がってまで一方的で段々エスカレートする執拗な攻撃を加えてきたものであって、Kが車外におり被告人が運転席内にいたとはいえ、Kには連れもいることを認識していた被告人が、その身体に対して感じていた侵害の危険性と恐怖感は相当に強かったものであるところ、被告人は子供のころから温順で殴り合いの暄曄もしたこともないような性格(被告人の司法警察員に対する昭和六二年七月二〇日付供述調書―一二枚綴りのもの)であり、本件においても隔絶に優越した攻撃力をもつKから逃げ、謝まり、被告人を外に引きずり降ろそうとするKの手をようやく振りほどいていただけのものであって、このような被告人に対し、それ以上に素手による反撃をとることを期待するのは困難であり、しかもそれによってKの不正の侵害から逃れることも容易ではなかったと認められるのであるから、他に自動車の発進行為より軽い打撃によってKの攻撃を防ぐことが客観的に可能であったとは考え難い。もとより、本件の結果はまことに重大であるが、被告人はKの死の結果の発生を予見したうえであえて右の行為に及んだものではなく(本件訴因も殺人ではなく傷害致死である)、それは、Kが被告人の発進させた自動車のハンドルをいきなり二時か三時の位置で握ったため、同車が右方向に進行し橋の欄干に激突しそうになったので、被告人においてこれを避けるためとっさにハンドルを左に切ることを余儀なくされ、それによりKが同車から振り落とされ、不測の重大な事態を招いたものであって、その結果の発生を理由に被告人の行為が防衛の程度を超えたものとすることはできない。翻って、原判決の指摘する被告人の前記反撃行為自体をみても、被告人は前示のとおりKを被告人車から飛び降りさせるか、振り落とすかして逃走するほかないと決意し被告人車を発進させたものの、(Kがハンドルを握るまでの)その発進走行の態様は特に急発進急停車を繰り返したり右左折を繰り返したりなどしたものではなく、速度もそれほど加速されておらず、いまだKを被告人車から振り落とすことを企図したものには至っていなかったと認められるのである。以上の事実に徴すると、被告人の行為は防衛行為としての相当性の範囲を逸脱してはいなかったというべきである。
その他記録を検討してみても、右判断を左右するに足るものはなく、従って、被告人の本件行為は正当防衛にあたるものと認められるところ、これを認めなかった原判決は、その認定にかかる事実に対する法的評価を誤った結果、防衛行為としての相当性の存在を否定し、正当防衛に関する法令の解釈適用を誤ったものであって、右誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかである。論旨はこの点で理由がある。
よって、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により原判決を破棄し、同法四〇〇条但書により更に次のとおり判決する。
本件公訴事実は、「被告人は、昭和六二年七月一四日午前三時二〇分過ぎころ、普通貨物自動車を運転し、国道二〇七号線を鹿島市街から太良町方面に向け進行中、先を急ぐため先行するK(当時二二年)運転の軽四輪貨物自動車を追い越したが、これに憤激した同人が、被告人に対し、クラクションを連続的に鳴らし、パッシングをかけ、更に被告人車両と並進しつつ運転席窓から大声で「停まれ」などと怒号する等して執拗に追跡したため、その気勢に畏怖した被告人が、右Kに捕まれば同人からいかなる危害を受けるかも知れないと思い、必死に逃走したものの、同日午前三時三〇分ころ、右追越し地点から約5.8キロメートル進行した佐賀県鹿島市大字飯田乙三三〇〇番地先飯田橋付近道路上に至った際、同人運転の右車両に追い越されたため、やむなく道路左端に自車を停止させたところ、同人もその前方に右軽四輪貨物自動車を停止させ、下車して被告人車両に走り寄り、その運転席ドアを開け、運転席の被告人に対し、「降りて来んか」などと怒号しながら被告人の右腕をつかんだので、右Kの手をふりほどき、運転席ドアを閉めたものの、更に同人が運転席外側ステップ等に乗って、全開状態となっていた運転席の窓から右手を差し入れ、被告人の右肩をわしづかみにしながら、「降りて来い。わりゃ降りんか」などと怒号するに至ったため、右Kから逃れるためには、自車を発進走行させて同人を自車から振り落とそうと決意し、前記のとおり同人がステップ等に乗っている状態のままいきなり自車を急発進させた上、アクセルを一杯に踏み込んで時速約三〇キロメートルに加速しつつ、約六〇メートル走行する暴行を加えて同人を同車から転落させ、同車の右前輪に激突させた上、路上に転倒させ、よって、同人に左下肺静脈破裂等の傷害を負わせ、そのころ、同所において、同人をして右傷害に基づく心タンポナーデにより死亡するに至らしめたものである。」というのであるが、前記認定のとおり、被告人の本件行為は、正当防衛に該当し罪とならないから、刑事訴訟法三三六条前段により無罪の言い渡しをする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官池田憲義 裁判官宮城京一 裁判官森岡安廣)